移植医療において脳外科医が担うべき役割
交通事故や脳出血、くも膜下出血などで脳に重大な損傷を負った患者さんの治療を行う脳外科医は、脳死の現場にも多く遭遇するわけですから移植医療にも関わりを持つことになるのは当然と言えば当然です。
またまた以前の記事を引きずり出してきて申し訳ないんですが、2009年11月26日の「脳外科医になった理由」でそのあたりのことを書きました。当時は脳死状態で臓器を摘出することは出来ませんでしたから、移植のほとんどが腎臓だったんです。角膜移植もありましたが、交通事故などで角膜が損傷していて、腎臓のみの提供となる場合も何度か経験しています。
患者さんがもう助からないと考えられる場合、移植という選択肢もあるコトをご説明するのですが、話し方を間違えると「医者が治療を諦めた」または「さじを投げた」と誤解されかねません。また、良い状態で臓器を提供するために、血圧が低い状態をダラダラと続けることは避けたいのですが、患者さんのご家族から見たら、「早く死んで欲しいと思っているのか」とある種の違和感を憶えることもあるんじゃないかと思っていました。
先日の「移植医療について考える県民との懇談会」で、ご家族が臓器提供をされた経験談が語られ、その中で「早く死んで欲しかったのかねぇ」と言う旨の言葉がご家族の中に有ったという話を聞いて、移植医療の難しさを実感すると共に医療者サイドの人間力も問われているのではないかとも思った次第です。移植医療では、実際の対応は脳死判定後専門の移植チームに引き継がれます。多くの場合他の病院から移植チームが派遣されてきますので、スタッフ同士の連携がスムーズに行かないこともありますし、時間との勝負になってきますのでかなり慌ただしくなってきます。
臓器を良い状態で摘出し出来るだけ短時間で搬送したいと言う気持ちも分かるんですが、ドナーの家族への配慮が足りなかったり別れを惜しむ時間が短縮されたり、喧噪の中で充分なお別れが出来なかったりと言うコトも可及的に避けなければならないと思います。ドナーのご家族への精神的なサポートと言うか癒しと言うか、そう言う事を担当する専門スタッフも必要なのではと思うのですが、本当は脳外科医が担うべき役割なのかもしれませんね。
またまた以前の記事を引きずり出してきて申し訳ないんですが、2009年11月26日の「脳外科医になった理由」でそのあたりのことを書きました。当時は脳死状態で臓器を摘出することは出来ませんでしたから、移植のほとんどが腎臓だったんです。角膜移植もありましたが、交通事故などで角膜が損傷していて、腎臓のみの提供となる場合も何度か経験しています。
患者さんがもう助からないと考えられる場合、移植という選択肢もあるコトをご説明するのですが、話し方を間違えると「医者が治療を諦めた」または「さじを投げた」と誤解されかねません。また、良い状態で臓器を提供するために、血圧が低い状態をダラダラと続けることは避けたいのですが、患者さんのご家族から見たら、「早く死んで欲しいと思っているのか」とある種の違和感を憶えることもあるんじゃないかと思っていました。
先日の「移植医療について考える県民との懇談会」で、ご家族が臓器提供をされた経験談が語られ、その中で「早く死んで欲しかったのかねぇ」と言う旨の言葉がご家族の中に有ったという話を聞いて、移植医療の難しさを実感すると共に医療者サイドの人間力も問われているのではないかとも思った次第です。移植医療では、実際の対応は脳死判定後専門の移植チームに引き継がれます。多くの場合他の病院から移植チームが派遣されてきますので、スタッフ同士の連携がスムーズに行かないこともありますし、時間との勝負になってきますのでかなり慌ただしくなってきます。
臓器を良い状態で摘出し出来るだけ短時間で搬送したいと言う気持ちも分かるんですが、ドナーの家族への配慮が足りなかったり別れを惜しむ時間が短縮されたり、喧噪の中で充分なお別れが出来なかったりと言うコトも可及的に避けなければならないと思います。ドナーのご家族への精神的なサポートと言うか癒しと言うか、そう言う事を担当する専門スタッフも必要なのではと思うのですが、本当は脳外科医が担うべき役割なのかもしれませんね。
この記事へのコメント
samura先生、丁寧にありがとうございます。
ああいった状況ではなかなか冷静な判断ができないものです。
ただ、遺恨が残ってしまう原因の一つとして
その現場の対応があったとしても
その後、レシピエントの方から何らかの手紙なり何なりがあったり
間に入ったコーディネーターの方々からの企画
(先日も話しましたが交流会等)あれば、
気持ちはまた違ったものになったと思います。
それぞれ担当は違いますが、
ひとりひとりができる事を「意識的に」やるのが必要ではないかと。
無意識下で行う事は癖です。
意識的に習慣にする事ができたら、急な対応にもぼろがでにくいものだと私は考えます。
もちろん、一般の私たちもそう。
レシピエントの方もおっしゃられていましたが
「人ごと」ではなく、もしかしたらいつか自分の事、と考える一瞬が必要です。
事がコトだけに深く考えさせすぎているかも知れません。すみません。
でも、これもひとつとしてまた前に進まれてください。
笑顔の先生をみなさんお待ちでしょうから☆
とても丁寧で読みやすいblogなのでまた来ます。
いろいろとありがとうございます。
ああいった状況ではなかなか冷静な判断ができないものです。
ただ、遺恨が残ってしまう原因の一つとして
その現場の対応があったとしても
その後、レシピエントの方から何らかの手紙なり何なりがあったり
間に入ったコーディネーターの方々からの企画
(先日も話しましたが交流会等)あれば、
気持ちはまた違ったものになったと思います。
それぞれ担当は違いますが、
ひとりひとりができる事を「意識的に」やるのが必要ではないかと。
無意識下で行う事は癖です。
意識的に習慣にする事ができたら、急な対応にもぼろがでにくいものだと私は考えます。
もちろん、一般の私たちもそう。
レシピエントの方もおっしゃられていましたが
「人ごと」ではなく、もしかしたらいつか自分の事、と考える一瞬が必要です。
事がコトだけに深く考えさせすぎているかも知れません。すみません。
でも、これもひとつとしてまた前に進まれてください。
笑顔の先生をみなさんお待ちでしょうから☆
とても丁寧で読みやすいblogなのでまた来ます。
いろいろとありがとうございます。
Posted by Goooya at 2011年02月25日 13:22
Goooyaさん、コメントありがとうございます。
私は自分が移植に関わった患者さんのご家族のことをコーディネーターの方から聞いたことがあります。その方は先日のGoooyaさんのように、ドナーの家族としてスピーチして下さったのです。
「その後、レシピエントの方から何らかの手紙なり何なりがあったり
間に入ったコーディネーターの方々からの企画
(先日も話しましたが交流会等)あれば、
気持ちはまた違ったものになったと思います。」
と言うご意見は、私もその通りだと思いますし、実際経験して心のつかえが一つ取れたような、救われたような気持になりました。
私は自分が移植に関わった患者さんのご家族のことをコーディネーターの方から聞いたことがあります。その方は先日のGoooyaさんのように、ドナーの家族としてスピーチして下さったのです。
「その後、レシピエントの方から何らかの手紙なり何なりがあったり
間に入ったコーディネーターの方々からの企画
(先日も話しましたが交流会等)あれば、
気持ちはまた違ったものになったと思います。」
と言うご意見は、私もその通りだと思いますし、実際経験して心のつかえが一つ取れたような、救われたような気持になりました。
Posted by samura at 2011年02月25日 23:18