脳外科医になった理由
なぜ脳神経外科医になったのかと聞かれることがあるのですが、いろいろ説明するのが面倒くさいので、いつもは「消去法で残ったから」と答えることにしてます(あんたねぇ・・・)。
本当は、せっかく医者になるんだから、人の生き死にに直接関係する診療科の方が、自分の成長によりプラスになるんじゃないかと考えて脳神経外科を選びました。救急の生きるか死ぬかの瀬戸際で修羅場をくぐって行くには、それだけの人間力が必要とされ、勿論磨かれていくだろうと考えた訳なんです。
さっきまで元気だった人が突然意識を失って倒れ、救急車で病院へ搬送され「くも膜下出血で半分は助かりません」なんて言われたら、ご家族はどれほどショックか・・・。搬送された患者さんの治療もさることながら、ご家族の心のケアも忘れてはならないのです。もしもあまりに重症で、生命すら助かる可能性がないと判断される場合、患者さんの治療よりもご家族が身内の命が失われていくことを受容する時間を確保することが優先される場合もありだと思っています。例えば、脳死状態に陥った患者さんにとって、延命措置を行うことは今後の回復に繋がるわけではないのですが、ご家族が現状を受け入れ納得するために時間をかせぐには、延命措置が必要になることもあると思うのです。
高齢者の場合はまだしも、若い方の交通外傷など違った意味で難しい対応を迫られることもしばしばです。脳卒中にしても交通事故による重症頭部外傷にしても、経験を積んだ脳外科医には助かる見込みがどれくらいか一目で分かります。事故に遭われた患者さんがもう助からないと言う場合、ご両親の中にはこの子が生きていた証をどこかに残しておきたいと思われる方もいるのではないかと思いますので、そう言う時は腎臓の提供をお勧めすることがあります。若い健康な腎臓を提供出来れば、二人の腎不全患者さんが助かることに繋がるわけです。事故に遭った患者さんは助からないのだけれど、その腎臓は誰か二人の全く知らない人の体の中で生き続けることが出来るのです。そのことによって、ご両親やご家族の心が救われることだってあるのですから。
さて、それをご両親にどうご説明するか・・・。
理解のある方ならいいんですが、話し方を間違えれば「お宅のお子さんは事故で脳の損傷が激しく助かる見込みがない」と医者がさじを投げたように誤解されかねませんし、信頼関係を大きく損なう可能性だってあるわけですから、そんな危険な話はせず成り行きを静観するのがある意味賢いやり方なのかもしれません。ただ、全く何も説明しなかった場合、後で腎臓を提供すればよかったとご家族が後悔するようなことがあってはならないと思うものですから、誠心誠意お話しさせて頂くわけなんです。
また、腎臓を提供して貰う場合は、あまり長く延命処置を続けることは腎臓にとってよくありません。血圧が低い状態がダラダラと続くと、腎血流が低下した状態も長く続くことになるため、より移植に適した状態で腎臓を提供することが出来なくなってしまうのです。表現は悪いのですが、生きのいい状態で移植につなげることが出来なくなってしまうのです。より良い状態で腎臓を提供するには、昇圧剤など延命に必要な薬剤の投与を行わない方向で御理解頂かなければならないのですが、それを説明するのも大変難しいです。相手の気持ちを充分理解し、受容共感出来てはじめて、私の口から出るかなりきわどい内容の説明に、相手も耳を傾けてくれるのではないかと思います。
勿論全部が全部受け入れて貰えるわけではありませんが、そう言うやりとりが出来る(迫られる)医療の現場として、脳神経外科が最適だと考えてこの道を選んだわけです。そのプロセスを通じて自分自身も成長出来ると考えて20年近くやって来ましたが、はてさてどんな人間ができあがったやら・・・。
本当は、せっかく医者になるんだから、人の生き死にに直接関係する診療科の方が、自分の成長によりプラスになるんじゃないかと考えて脳神経外科を選びました。救急の生きるか死ぬかの瀬戸際で修羅場をくぐって行くには、それだけの人間力が必要とされ、勿論磨かれていくだろうと考えた訳なんです。
さっきまで元気だった人が突然意識を失って倒れ、救急車で病院へ搬送され「くも膜下出血で半分は助かりません」なんて言われたら、ご家族はどれほどショックか・・・。搬送された患者さんの治療もさることながら、ご家族の心のケアも忘れてはならないのです。もしもあまりに重症で、生命すら助かる可能性がないと判断される場合、患者さんの治療よりもご家族が身内の命が失われていくことを受容する時間を確保することが優先される場合もありだと思っています。例えば、脳死状態に陥った患者さんにとって、延命措置を行うことは今後の回復に繋がるわけではないのですが、ご家族が現状を受け入れ納得するために時間をかせぐには、延命措置が必要になることもあると思うのです。
高齢者の場合はまだしも、若い方の交通外傷など違った意味で難しい対応を迫られることもしばしばです。脳卒中にしても交通事故による重症頭部外傷にしても、経験を積んだ脳外科医には助かる見込みがどれくらいか一目で分かります。事故に遭われた患者さんがもう助からないと言う場合、ご両親の中にはこの子が生きていた証をどこかに残しておきたいと思われる方もいるのではないかと思いますので、そう言う時は腎臓の提供をお勧めすることがあります。若い健康な腎臓を提供出来れば、二人の腎不全患者さんが助かることに繋がるわけです。事故に遭った患者さんは助からないのだけれど、その腎臓は誰か二人の全く知らない人の体の中で生き続けることが出来るのです。そのことによって、ご両親やご家族の心が救われることだってあるのですから。
さて、それをご両親にどうご説明するか・・・。
理解のある方ならいいんですが、話し方を間違えれば「お宅のお子さんは事故で脳の損傷が激しく助かる見込みがない」と医者がさじを投げたように誤解されかねませんし、信頼関係を大きく損なう可能性だってあるわけですから、そんな危険な話はせず成り行きを静観するのがある意味賢いやり方なのかもしれません。ただ、全く何も説明しなかった場合、後で腎臓を提供すればよかったとご家族が後悔するようなことがあってはならないと思うものですから、誠心誠意お話しさせて頂くわけなんです。
また、腎臓を提供して貰う場合は、あまり長く延命処置を続けることは腎臓にとってよくありません。血圧が低い状態がダラダラと続くと、腎血流が低下した状態も長く続くことになるため、より移植に適した状態で腎臓を提供することが出来なくなってしまうのです。表現は悪いのですが、生きのいい状態で移植につなげることが出来なくなってしまうのです。より良い状態で腎臓を提供するには、昇圧剤など延命に必要な薬剤の投与を行わない方向で御理解頂かなければならないのですが、それを説明するのも大変難しいです。相手の気持ちを充分理解し、受容共感出来てはじめて、私の口から出るかなりきわどい内容の説明に、相手も耳を傾けてくれるのではないかと思います。
勿論全部が全部受け入れて貰えるわけではありませんが、そう言うやりとりが出来る(迫られる)医療の現場として、脳神経外科が最適だと考えてこの道を選んだわけです。そのプロセスを通じて自分自身も成長出来ると考えて20年近くやって来ましたが、はてさてどんな人間ができあがったやら・・・。
この記事へのコメント
いつも、丁寧なコメント本当に感心します。
私の父は、3年前に大腸ガンでなくなりました。
父は、闘病中、「自分が死んだら、医療の為に献体したい」と
言ってました。その時は、家族みんなで反対しました。
もし先生のブログを父が生きている時に、読んでいたら
少し違った考えをしたかもしれません(変わらなかったかもしれないけど)
当事者になると、思考がストップしてしまうので
今から、いろいろなことを知っておくのは、すごくイイと思います。
先生のようなお医者さんがいるのを知ったこと
すごく、嬉しく思います。
お忙しいでしょうが、お身体に気をつけて下さい。
私の父は、3年前に大腸ガンでなくなりました。
父は、闘病中、「自分が死んだら、医療の為に献体したい」と
言ってました。その時は、家族みんなで反対しました。
もし先生のブログを父が生きている時に、読んでいたら
少し違った考えをしたかもしれません(変わらなかったかもしれないけど)
当事者になると、思考がストップしてしまうので
今から、いろいろなことを知っておくのは、すごくイイと思います。
先生のようなお医者さんがいるのを知ったこと
すごく、嬉しく思います。
お忙しいでしょうが、お身体に気をつけて下さい。
Posted by うさぴょん at 2009年11月26日 20:44
samur先生こんばんわ。
毎日お疲れ様です。
先生のブログ読んでると、共感する部分が多く
ついうなずいてしまいます。
死について色々と書きたいのですがうまく文章化できないので
今回やめます。
とても難しい問題です・・・。
又お邪魔しますね。
お体に気をつけて勤務がんばってください。
毎日お疲れ様です。
先生のブログ読んでると、共感する部分が多く
ついうなずいてしまいます。
死について色々と書きたいのですがうまく文章化できないので
今回やめます。
とても難しい問題です・・・。
又お邪魔しますね。
お体に気をつけて勤務がんばってください。
Posted by 櫻宝 at 2009年11月26日 21:48
うさぴょんさん、こんばんわ。
いつもご訪問ありがとうございます。
献体については、大変難しい感情的な部分もありますので、理性的には理解出来ても受け入れられない場合もあると思います。
私たちは、患者さんが亡くなった時、悲嘆にくれるご家族に「解剖させて下さい」「献体して下さい」とお願いする立場ですので、その際にもいろいろ経験させて貰いました。今度書きたいと思います。
当事者になると思考がストップすると言う状況は、とてもよく分かります。二男が生後2ヶ月目に喘息様気管支炎で入院したとき、ほとんど思考ストップ状態でした。
私の文章が、何かのヒントや新しい気付きに繋がってくれれば嬉しいです。
いつもご訪問ありがとうございます。
献体については、大変難しい感情的な部分もありますので、理性的には理解出来ても受け入れられない場合もあると思います。
私たちは、患者さんが亡くなった時、悲嘆にくれるご家族に「解剖させて下さい」「献体して下さい」とお願いする立場ですので、その際にもいろいろ経験させて貰いました。今度書きたいと思います。
当事者になると思考がストップすると言う状況は、とてもよく分かります。二男が生後2ヶ月目に喘息様気管支炎で入院したとき、ほとんど思考ストップ状態でした。
私の文章が、何かのヒントや新しい気付きに繋がってくれれば嬉しいです。
Posted by samura at 2009年11月26日 23:42
櫻宝さん、こんばんわ。
いつもコメントありがとうございます。
今日のお昼休みに、昔受け持っていた方が亡くなった時のことを文章にしてみました。3週間後に公開予定ですが、書きながら大泣きしたので午後の外来は真っ赤な目でした。
現代の日本は、人間の死が遠ざけられ覆い隠され、ほとんど見えなくなってしまった社会なのではないかと思います。簡単に人を殺してしまうような事件が後を絶たないのは、人間が死ぬと言うことがどういうことなのか、実際に体験する機会が非常に少ないために、死に関する意識が希薄化してしまった人達が大多数を占めてしまったことも一因なのではないかと考えたりしています。
死について、考えていることを文章にするのはかなり難しいと思いますが、挑戦する価値は充分あると思います。文章にして書いてみることで、考えがまとまってくることもありますしね。
私も挑戦してみたいと思います!
いつもコメントありがとうございます。
今日のお昼休みに、昔受け持っていた方が亡くなった時のことを文章にしてみました。3週間後に公開予定ですが、書きながら大泣きしたので午後の外来は真っ赤な目でした。
現代の日本は、人間の死が遠ざけられ覆い隠され、ほとんど見えなくなってしまった社会なのではないかと思います。簡単に人を殺してしまうような事件が後を絶たないのは、人間が死ぬと言うことがどういうことなのか、実際に体験する機会が非常に少ないために、死に関する意識が希薄化してしまった人達が大多数を占めてしまったことも一因なのではないかと考えたりしています。
死について、考えていることを文章にするのはかなり難しいと思いますが、挑戦する価値は充分あると思います。文章にして書いてみることで、考えがまとまってくることもありますしね。
私も挑戦してみたいと思います!
Posted by samura at 2009年11月26日 23:58
samura先生、とても丁寧な説明で、
自分の父がそういう状態になった時の担当医の先生の言葉ととても重なりました。
そして、あの瞬間に受け入れられなかった自分たちがいた事も
また思いだしました。
先のコメントの方もおっしゃられていましたが、
急にそういう状況になった時、思考は考えているようで同じ事を同道巡りしてしまい、冷静な判断がつけなくなります。
だからこそ、普段から
「脳死と植物状態は違う」
「脳死とはこういうことだ」
ともっと多くの方が知る必要があると思います。
こういった事にメディアがうまく利用できたらいいですね。
最近は医療関係の映画や小説などがよくヒットしていますが
ああいった形でもいいのかなと。
今日、Blog読ませていただいて良かったです。
文字で客観的に読ませて頂く事ができた事。
そして真摯な思いで患者さんに接していらっしゃる先生がいるのだと知る事ができた事。
とても良かったです。
毎日生死の境目を身近に感じる、大変なお仕事だと思います。
応援しています。
また来ます。
ありがとうございました。
自分の父がそういう状態になった時の担当医の先生の言葉ととても重なりました。
そして、あの瞬間に受け入れられなかった自分たちがいた事も
また思いだしました。
先のコメントの方もおっしゃられていましたが、
急にそういう状況になった時、思考は考えているようで同じ事を同道巡りしてしまい、冷静な判断がつけなくなります。
だからこそ、普段から
「脳死と植物状態は違う」
「脳死とはこういうことだ」
ともっと多くの方が知る必要があると思います。
こういった事にメディアがうまく利用できたらいいですね。
最近は医療関係の映画や小説などがよくヒットしていますが
ああいった形でもいいのかなと。
今日、Blog読ませていただいて良かったです。
文字で客観的に読ませて頂く事ができた事。
そして真摯な思いで患者さんに接していらっしゃる先生がいるのだと知る事ができた事。
とても良かったです。
毎日生死の境目を身近に感じる、大変なお仕事だと思います。
応援しています。
また来ます。
ありがとうございました。
Posted by Goooya at 2011年02月24日 14:50
Goooyaさん、コメントありがとうございます。
だいぶ前に書いた記事で、言葉足らずの点も多々あってもどかしい気持ちもありますが、医療の現場の中でも生死を分けるような現場に身を置くことが自分の成長に繋がり、ひいては病める方々にお返ししていけるのではないかと考えてこの道に入ったのですが、平成10年に大きな転機を迎えて救急の現場からは身を引くことになりました。
その後ガンマナイフ治療に携わって、末期癌や脳腫瘍に苦しむ患者さんやご家族と接してきました。私と会えて良かったと言って下さる患者さんやご家族がいて下さる間は、もっともっと頑張っていきたいと思っています!
だいぶ前に書いた記事で、言葉足らずの点も多々あってもどかしい気持ちもありますが、医療の現場の中でも生死を分けるような現場に身を置くことが自分の成長に繋がり、ひいては病める方々にお返ししていけるのではないかと考えてこの道に入ったのですが、平成10年に大きな転機を迎えて救急の現場からは身を引くことになりました。
その後ガンマナイフ治療に携わって、末期癌や脳腫瘍に苦しむ患者さんやご家族と接してきました。私と会えて良かったと言って下さる患者さんやご家族がいて下さる間は、もっともっと頑張っていきたいと思っています!
Posted by samura at 2011年02月25日 22:59