Dr.さむらのハイパー気まぐれ日記

さむら脳神経クリニックから脳の健康について書いていくつもりですが・・・。

戦い敗れて

風が吹けば桶屋が儲かる理由はわたくしにはよく分かりませんが、風が吹けば花が散ることくらいは私にだって分かります。そんなこと私だけでなく誰にでも理解可能かコトですし、古代中国においても孟浩然の「春眠」で

戦い敗れて


と歌われている通り、風が吹けば花は散ってしまうコトは、いわゆるひとつの周知の秘密! でも、日本人的には、逆境に耐えて咲き続ける花がお好みなんです、きっと。例えばビューティー・ペアの「駆け巡る青春」では、

戦い敗れて


と、歌っておりますもの。踏まれても汚れても咲き続ける花、嵐にさえも耐えて花開くど根性大根的力強さ & けなげさが好きなのかも・・・。

ポール・サイモンの「雨に負けぬ花」の

戦い敗れて

ってサビの部分の歌詞は、

戦い敗れて


て感じの解釈が多いようなんですが、信じ続けるんならcontinue to believeとか、他に表現があってもいいような・・・。韻を踏むのが大好きなポール・サイモンだから、「end」「bend」の絡みから「pretend」を持って来たのか?それにしても、あまり強く「信じ続ける」と言うより、「私の命は終わる」「花は雨に負ける(雨や風で花は散ってしまう)」コトは分かっているが、とりあえず「私の命は終わらない」「花は雨に負けない」ジラ〜でもしておくかぁ、みたいな、ちょっと諦観しているようなそんな感じで受け取っておく方がいいように思うのですが、皆様如何でしょうか?

それからすると、高橋真梨子の「枯れない花」の歌い出し、

戦い敗れて

を聞けば、待っている人が二度と帰ってこないことが容易に想像出来ます。「帰ってこないことは分かっているが、帰ってくると信じて待ち続けよう」みたいな・・・。私だったら、あんまりそんなコトは考えないようにして、思い悩まず適当に流して生きる方が楽チンですし、大鉄的人生てきと〜なB型ですから実際そうすると思います。

うまく言えないんですが・・・。

例えば、末期ガンで亡くなった人に対して、「戦い敗れて」みたいな表現を耳にすることが多いモノですから、闘わなければならないと言うような強迫観念的風潮が社会に蔓延しているのではないかと感じたりもしています。末期ガンで、闘っても勝てる相手ではないことが分かっていても、「勝てる」と信じて闘うべきなのか?

戦いを強要するのも、どうかと思うのです・・・。

勿論それは個々人が決めることですが、雨に負けぬ花的に言えば「最後には死んで全てが無になってしまうコトは分かっているけど、とりあえずまだ大丈夫ジラ〜で毎日を過ごしていこう」くらいの感じの方が楽チンで、「戦い敗れて・・・」なんて言い方はしない方が良いのかも。

やっぱりうまく言えないんですが・・・・・。






vol.24
患者さんについて求めること

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この記事へのコメント
私的には、最近は"秋眠 暁を覚えず”なわけで・・・

"戦う"と言うことは、少なくとも"勝つ"可能性がある場合にのみ使うものと思いますので、勝つ見込みのないものに戦いを挑むのは、やはりおかしい気も・・・(^^;)

でも、死を見据えて、普段通りの生活が出来るかと言えば、それも難しそう。
自分の気持ちの中では"死"と戦って行くのでしょうね。
Posted by ichigeki at 2011年10月03日 08:01
ichigekiさん、コメントありがとうございます。

やっぱり人生戦いの連続かも。
でもそれは自分との戦いであって、病気には勝てなくても自分に負けなければ、それはそれでいいのかもしれません。

やっぱりうまく言えないんですが・・・・・。
Posted by samurasamura at 2011年10月09日 20:54
 
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