Dr.さむらのハイパー気まぐれ日記

さむら脳神経クリニックから脳の健康について書いていくつもりですが・・・。

みんなの努力が水の泡

琉球大学医学部は、一県一医大構想の下最後の医学部として1979年に創設され、1981年に第1期生が入学致します。その県の医療はその県にある医大がまかなうべきと言うのが、一県一医大構想です。つまり、地域への貢献、地域医療の充実であり、医療の地域格差是正を目的とした政策であったとも考えられます。

琉球大学医学部の創設の理念は、おそらくは既に忘れ去られている可能性が非常に高いと思われますが、「南に開かれた国際性豊かな医学部」です。「国際性豊かな」と謳われてはおりますが、タイやベトナムなど東南アジア諸国にばかりに目を向けていればいいと言うわけではありません。琉球大学と東南アジアの間には、宮古八重山と言う沖縄県の島嶼環境が存在するのです。

一県一医大構想に照らしても、また創設の理念から見ても、琉球大学医学部が沖縄県の島嶼環境に配慮した活動を行うのは、当然と言えば当然のことですが、あたしゃ当然を通り越して「義務」だと思っておりました。今でこそ、自民党をぶっ壊すと大言壮語した小泉が医局制度をぶっ壊してしまったために、大学の医局がその機能を発揮することが出来なくなってしまっておりますが、大学の医局こそが医師の適正配置を可能にする唯一の機関であったと行っても過言ではありません。勿論医局制度にも長所もあれば短所もありますが・・・。

宮古・八重山の県立病院を見てご覧なさい。脳外科医が赴任してきても、長くて3年程度しかもちません。バックアップ体制無しに一人で24時間365日の救急受け入れ体制を背負っていくのは、はっきり申し上げて(はっきり申し上げなくても)不可能です。最初はなんとか行けますが、早晩潰れます。緊急手術の時は応援の医師を派遣し、学会等の際にも留守番の医師を派遣し、定期的に休養が取れるような体制をみんなで協力し合って作り上げることが出来るのは、教授をヒエラルキーの頂点とし医学部創設の理念の下、地域医療への貢献・充実と言う強い共通認識を持った医局という集団しかあり得ません。

沖縄県においては、初代六川教授が八重山病院宮古病院に脳外科医を派遣し、医局員みんなが助け合って10年余にわたって離島の脳神経外科医療を支えてきました。医局員の努力は並大抵のモノではなかったと思いますが、その努力によって宮古八重山病院への安定的な脳外科医の派遣が可能となっていたのです。

六川教授退官後、小泉が医局制度をぶっ壊す何年も前に宮古・八重山から脳外科医の引き上げが行われました。沖縄本島内であれば、A病院に脳外科医がいなくても脳外科医がいるB病院に急患を搬送するコトは充分可能ですが、八重山病院から脳外科医がいなくなったら、脳外科の救急患者はどこへ行けばいいんでしょう?

あまり批判的なコトを書くとまた叱られてしまいますが、誰が考えてもおかしいと思うようなコトが一昔前に実際に行われ、離島の脳外科医療は急患をヘリで沖縄本島へ搬送するという10年前の状態に逆戻りしてしまいましたとさ・・・(泣)。




vol.24
患者さんについて求めること

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さむら脳神経クリニック

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〒901-2226
沖縄県宜野湾市嘉数2丁目2−1
広栄メディカルビル 1F

TEL

098-897-1177

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9:00~12:00/14:00~17:00

定休日

水土午後 日曜祝日

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