Dr.さむらのハイパー気まぐれ日記

さむら脳神経クリニックから脳の健康について書いていくつもりですが・・・。

脳死は人の死

脳死は人の死です。

難しい問題ですが、心臓が動いていようが呼吸していようが、脳が死ねば生き返ることはありませんし、早晩呼吸も心拍も停止します。

「No!死」などと反論の向きもあろうかと思いますが、沢山の患者さんの死と向き合ってきた立場から言わせて頂きますと、「脳死は人の死」です。先日も書きましたように、脳死の瞬間を正確に捉えることは困難です。しかし、脳死状態では自発呼吸もありませんし、心臓だって昇圧剤で無理矢理収縮させなければ血圧を維持出来ません。

これ以降の内容は、R指定です。御理解頂ける方だけお読み下さい。不適切な表現があるかもしれませんが、お許し下さい。






現代の日本では、「死」というものが隠され遠ざけられ、目に留まらないところに押しやられているような気がします。延命措置など全く行わず、自然息を引き取った方、ご覧になったことがあるでしょうか。肌は温かく血の気が残り、まるでまだ生きているかのように見えると思います。

しかし、脳死で延命処置を行っていた場合は違います。延命処置を施した時間が長くなれななるほど、全く違った「死の瞬間」が見えてきます。

以前脳出血で脳死になった患者さんを、2週間人工呼吸器と昇圧剤で延命したことがあります。脳死は人の死と主張しているわけですから、延命という表現は当たらないかもしれませんが、外見上呼吸し心臓も動いている状態を、無理矢理作り出していたわけです。ただいつまでもその状態を維持出来るわけでなく、昇圧剤も限界に来てその方の心臓が停止した時、体中には既に屍斑が出ていてまるで死後何日か経過したかのような、とても今臨終を迎えたご遺体とは思えないような状態でした。表現が悪くて申し訳ないのですが、ホントにむごたらしい死に様だったのです。

脳死状態で人工呼吸器を長期間使っていると、頭蓋内で脳はドロドロに溶けていきます。琉大病院にいた頃、脳死の患者さんの病理解剖でそれを見ました。頭蓋をあけた瞬間、溶けた脳がドロっと流れ出してきたのです。これをレスピレーターブレインと言いますが、実際の臨床現場でも体験されることがあります。

重症頭部外傷で、頭蓋骨も骨折し頭皮もあっちこっち裂傷を起こしているような患者さんでは、脳死状態で長期間(と言っても2〜3週間ですが)レスピレーターや昇圧剤で頑張ると、レスピレーターブレインでドロドロに溶けた脳が傷口から流れ出てくることがあるのです。傷口はきちんと縫合したはずなのに、脳圧が上昇しているせいか縫合部が内圧に負けて離開してしまい、溶けた脳が流れ出てきます。機械の力を借りてではありますが呼吸もしており、心臓も昇圧剤で動いているのですが、室内には腐臭が漂うのです。

脳死の現場は、生と死が混在した、ある意味地獄なのです。

死を間近にした患者さんのご家族から、「延命処置で、1分1秒でも長くもたせてくれ」と頼まれることが多いですし、我々が受けた医学教育においても「1秒でも長く生かすこと」が価値のあることのように取り扱われてきたと思います。しかし一般の方は、脳死と言うものがどんなに悲惨なものか、その行き着くところにどんなむごたらしい状態が待ち受けているのか、ご存じありません。勿論上述の例は極端なケースだとは思いますが、延命を希望されるご家族の方々にこんな話はなかなか・・・。

果たして、これから向うところがどんなところか分かっておられない方のご希望を、そのまま受け入れていいのかどうか?難しく伝えづらい内容ではありますが、きちんとお話しして御理解頂いた上で決めていたくべきではないのか?未だに答えの見つからない問題です。




vol.24
患者さんについて求めること

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この記事へのコメント
samuraさん(というかsamura先生)おはようございます。
読んでいてゾクゾクとするような気分でした。
 samuraさんのおっしゃっていることは本当に現場を診てきたからこそ、
そう感じる意見だと思います。
先日も、ある病院で患者のご家族と同意の上でレスピレーターを外した医師が「殺人罪」になる裁判の判決が出ましたね。
 
私たちはもっと人の「死」、「死に方」、についてオープンに議論する必要があると感じました。
Posted by ニシピーニシピー at 2009年12月16日 08:27
おはようございます!初コメントです!
私も医師でもないので詳しくはわかりませんが、脳死は人の死だと前々から思っていました。だから臓器移植カードを携帯しています。
ある日突然脳死状態になると、ご家族方のお気持ちももちろんお察しします。
難しい問題ではありますが、いろいろ経験された先生のおっしゃる通りだと思います。
無理矢理機械で生かされている生は、もはや生きてはいない・・・。
安らかな死を迎えられることが自然の死のような気がしてなりません。
何も医療のことがわからない一個人の考えですいません。
Posted by ECO at 2009年12月16日 10:50
おはよ~ござおます!
足あとから飛んで来ました。
今年は私の周りでたくさんの人が亡くなりました
自分で命を絶った人も居れば病気で亡くなった人も居ました


自分の家族が突然の事故で脳死状態になったら
私はど~するんでしょね?
正直想像もつきません・・・
誰もが思う『安らかな死』ってなんなんだろ~?
もし、自分が脳死状態になれば自分の臓器を生かしてほしぃ
ってのが素直な気持ちです。
Posted by みゆママみゆママ at 2009年12月16日 12:07
こんにちは、はじめまして。

脳死は人の死だということは、私も常から考えています。

以前私の伯母が動脈瘤の破裂が原因で、亡くなりました。
最初、クリップ手術が成功し、会話ができるほど意識があったのですがその後突然脳死状態になり、結局術後一週間で帰らぬ人となりました。

実は、私はけっこう匂いに対して敏感で、脳死の部分が半分くらいまできたあたりから、伯母の身体からは死臭というか、亡くなった人独特のにおいを感じたのです。
だから、医者から「これは、脳死という状態でもう助からない」という説明を受ける前に、『ああ、伯母さんはもう会えないところへ逝ってしまったなぁ…』と、なんとなく思ってしまいました。

ただ、家族はそんなことをとても受け入れられないので、最後まで奇跡を信じ、ベッドの側で声をかけたり、何か助かる手はないのかと泣き崩れたりしていましたが…

脳死が人の死だと受け入れがたいのは、家族のこういった感情の部分だと思うのですが、こればかりはどうにもならないのかもしれませんね…
Posted by つかさつかさ at 2009年12月16日 17:32
はじめまして。
足跡からの訪問です。
文章を書くのは下手くそなので解りづらかったらすみません。
私の父は二年前に急性心筋梗塞で他界しました。突然の死でした。最終的には父も脳死状態で長くの延命治療はしませんでした。
生前、自然なかたちで母から産まれた。だから自然に逆らわず死にたいと父も望んでいたという事もあり家族はそれを受け入れました。
長く延命をしても結局、家族のエゴになってはいないか?身体だけ生きていて果たして本人にとって嬉しい?良い事なのか?
いつも元気で、このまま祖父ちゃんになって長生きすると思っていたので本当に突然の事だったので、家族でも気持ちや意見が別れましたが、受け入れると言う現実は酷な事でした。
脳死状態になって三日目、透析の効果がなく体から顔まで膨れ上がりパンパンになり、これ以上変わり果てるのを見るのが耐えられなくて装置や管を順番に外していきました。
父は頑張ったと思います。

婆ちゃん(親)より先に逝ってしまい、福岡の婆ちゃんは今でも息子の死を受け入れられないで、あまり元気がないのは心配ですが。

医学が進歩して心肺を非自然的に動かせるようになりましたが、私はそれ以上の進歩は人として地球上の生物として明るい未来だと言えないと思います。
人の人生の最期を見るのは辛い事ですが、生まれてきたら必ず死が訪れる。当たり前の事ですもんね。
でも医学が発達してなかったら、いくら脳死状態でも人工心肺装置がなかったら私は父の死に目に会えなかったです。
沖縄から仙台。その時だけは、これほど遠いとは思いませんでした。
今は母の看病をするため、仙台に帰ってきましたが…。なんの心の準備もなく人は亡くなる。父の死で親を大切にする事を学びました。
まぁ実際、母とは喧嘩ばかりで仲良くはないんですが…。
長くなってすみません。
脳死と言う二文字に反応しちゃってカキコさせて頂きました。
職業柄、技術や知識だけでなく患者やその家族などの人と人の心の関わり方に前向きな先生。
これからも応援しております。
Posted by toshizo at 2009年12月16日 19:48
こんばんわ!

私の父は、3年前に大腸ガンで亡くなりました。最後まで、好きなように生活したいと、抗ガン剤治療を拒否し、自宅で療養していました。
父の希望は、「万が一脳死のような状態になったら、延命治療はしないで欲しい」とのことでした。
幸い?父は、希望通り家族だけに見守られながら、自宅で息を引きとりました。
もし、脳死のような状態になっていたら、父の希望を叶えてあげることができたのか・・・。難しい選択をしなくてはいけなかったでしょうね。

本人の希望、家族の気持ち、いろいろな思いがあるので、その場にならないと自分がどうするか、わからないですが、父とは、生前から「死」についていろいろ話をしていたので、希望を叶えたかも。
Posted by うさぴょんうさぴょん at 2009年12月16日 22:55
こんばんは、はじめまして。

今年3月、父が83歳で他界しました。老衰ともいえる肝不全でした。
虫の知らせで、駆けつけ最後を看取ることができました。

脳死の話しとは異なりますが、安らかで顔色も良くまだ生きているようでた。もちろん体温もありました。葬儀社の方も、大往生ですねと言ってくれました。

僕自身は、人の死は脳死だとずっと考えてきています。ただ、脳死で延命措置を続けるとどうなるのかは知りませんでした。書かれてらっしゃるようなら、僕は自分も含めて家族が脳死状態になったら延命措置を絶対望みません。僕の父の場合は、あてはまらなかったので、なんとも言えませんが、最後は安らかに逝ってもらいたいです。
Posted by 悠太郎悠太郎 at 2009年12月16日 23:43
ニシピーさん、ご訪問ありがとうございます。

ニシピーさんのおっしゃるように、人間の「死」についてオープンな議論が必要だと思います。現代社会において、「死」は見えにくく認識しにくいものになっているような気がしています。簡単に、衝動的に殺人を犯してしまうような事件が増えているのも、人間が「死ぬ」と言うコトがどういうことなのか、分かっていないせいもあるのではないかと思います。
Posted by samurasamura at 2009年12月17日 13:42
ECOさん、ご訪問コメントありがとうございます。

「無理矢理機械で生かされている生」と言う表現は、脳死の状態にぴったり当てはまると思います。

脳外科医になった理由(11/26)にも書いたのですが、事故や脳卒中で突然死の淵へ追いやられた患者さんの場合、ご家族がその死を受け入れる時間をかせぐことも我々脳外科医の仕事だと思っています。直接患者さんの為になることではないのですが、「無理矢理機械で生かされている生」の状態を作り出さざるを得ないこともありました。患者さんの立場から見た場合と、ご家族の立場から見た場合で、「死」に対する考え方も、その対応も違ってきてしまうのです。

突然「死」と言う問題に直面した場合、どう対処すべきか日頃から話し合っているような方ってほとんどおられませんので、その時その時の状況を見て我々が判断せざるを得ないのですが、大変難しい問題だと思います。

ニシピーさんのコメントにもあったように、「私たちはもっと人の『死』、『死に方』、についてオープンに議論する必要がある」のだと思います。
Posted by samurasamura at 2009年12月17日 14:02
みゆママさん、ご訪問コメントありがとうございます。

「もし自分が突然の事故で脳死状態になったら、自分の臓器を生かして欲しい」と言うご意見、私ももしそうなったら同じように自分の臓器は誰かのために生かしてもらいたいと思います。
もし癌やその他の難しい病気で死んだら、病理解剖してもらってもいいと思いますし、医学教育のために献体しようかとも考えています。

自分のコトだと割と簡単なんですが、家族のだれかってコトになると理性だけでは割り切れないところもあると思いますし、普段からいろんなコトを考えておく必要があるのかもしれませんね。

明日は私の失敗談を書きますので、是非読んで下さいね!
Posted by samurasamura at 2009年12月17日 14:13
つかささん、ご訪問ありがとうございます。
貴重な体験を書いて下さり、ありがとうございます。

くも膜下出血でクリッピングも成功し、回復基調にあったのに突然脳死状態になったという経過は、くも膜下出血後に起きる脳血管攣縮(れんしゅく)と言う、未だに決定的な治療法がない病態がおきたせいではないかと思います。

その状態であっても、心臓は拍動し身体は温かく、とても死んでいると受け入れられないのも仕方ないのかもしれませんね。理屈だけで心の全てをコントロールするのは困難ですから。

脳死の割と早い段階で「死の匂い」を感じる方、いらっしゃるんですね。クリエイティブなお仕事をなさっている関係もあるのでしょうか、研ぎ澄まされた感性・感覚をお持ちなのだと思います。
Posted by samurasamura at 2009年12月17日 14:28
toshizoさん、貴重なコメントをありがとうございます。

お父様が、以前からご自分の「死生観」を伝えておられたと言うコトで、最終的な局面でお父様のお考えに沿うような形で対応出来たと言うことだと思います。

「医学が発達してなかったら、いくら脳死状態でも人工心肺装置がなかったら私は父の死に目に会えなかったです。」と言うコメントは、我々が延命処置を行う一つの根拠を、ご家族の立場から言って頂いたコメントだと思います。臨床現場で、延命処置を行ったことが本当によかったのかどうかと言うところまでは、なかなか確認することが難しいので、実際に経験された方のコメントを頂け、考え方・方向性として間違っていなかったんだと言う気持ちを強くすることが出来ました。

明日は、私の悔やんでも悔やみきれない失敗談です。ご意見、ご感想など頂けると嬉しいです。
Posted by samurasamura at 2009年12月17日 14:48
うさぴょんさん、貴重な体験をコメントして頂き、ありがとうございます。

脳外科で救急医療の現場にいますと、勿論頭部外傷や脳卒中で突然死の淵へ追いやられる患者さんが多いのですが、ガンマナイフ治療ではほぼ75%が末期癌の患者さんでした。頭部外傷や脳卒中では、自分の「死」を迎える準備など出来る時間はないのですが、癌の場合は時間の猶予が与えられているため、ご家族と話し合ったり「死」に向かっての準備というか、人生の総まとめをするコトも可能です。人生の最後に、その方の意に反した死の形があってはならないと思いますし、そう言う意味では「告知」の持つ意味は大きいと思います。

うさぴょんさんのお父様は、ご自分の病状をきちんと理解されていたからこそ、「死」についていろんな話をすることが出来、ご家族も希望を叶えてあげることが出来たのだと思います。
Posted by samurasamura at 2009年12月17日 14:58
悠太郎さん、はじめまして。
ご訪問、コメントありがとうございます。

実際問題として、いろんな「死」の形があり、どれがどれが良いとか正しいとかって答えがあるのかどうか分かりませんし、最終的にそれを決めるのが誰なのかも、私には分かりません。

うちの祖母は95歳で亡くなりましたが、大きな病気をしたわけでもなく言わば老衰でした。祖母が亡くなった時、親戚が集まり在りし日の祖母を偲んでドンチャン騒ぎしていたら、ご近所の方から「佐村さんちは、何かお祝いでもあったんですか?」と聞かれました。私は、こんな感じが良いなぁ、と思ってます。
Posted by samurasamura at 2009年12月17日 15:10
こんばんは
足跡からお邪魔してます・・・

考えさせられる内容 もしかしたら私がなるかも???
ッと・・・思うと程 人事でないですよね!

凄く勉強になりました
ありがとうございま~す^^
Posted by tikapi at 2009年12月17日 23:19
こんばんは、ご訪問ありがとうございました。

大変勉強になりました。
仰るように「オープンな議論」とても必要だと思います。
理論的な見解や感情論、希望、遺族心情等様々あると思いますが、物事は多面的に捉えてやっと本来の姿形が見えてくるものだと考えてます。

貴重な見解を拝見できました。
Posted by FP加藤FP加藤 at 2009年12月17日 23:28
現在養父が山の滑落事故で外傷性くも膜下出血でその晩に血圧低下、昇圧剤投与で延命治療中です。記事を読んで生かされてる代償のお話を見ました。その通りだと思います。ただ、いきなり養父を失った遺族の気持ちの整理の時間だど思っています。ただ眠っているような父がいるだけで、お別れの準備ができる気がします。
Posted by 願い叶いたい at 2016年07月11日 11:13
 
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