認知症の周辺症状
昨日うさぴょんさんから大変考えさせられるコメントを頂きました。コメント自体は漠然としているのですが、なんだか言わんとしていることが分かるような気がして・・・。
認知機能障害(以下、認知症)についても一気に書ける問題ではないのですが、今回は認知症の周辺症状について考えてみたいと思います。
認知症の症状には、「記憶障害」「判断力障害」「実行機能障害」などの中核症状と、「徘徊」「妄想」「不潔行為」「異色」「暴言・暴力」「介護者への抵抗」「反社会的行動」などの、周辺症状と呼ばれるものがあります。周辺症状は、「認知症の行動・心理症状(Behavioral and Phychological Symptoms of Dementia)」の頭文字を取ってBPSDとも呼ばれています。介護保険の主治医意見書には、「問題行動」として記載欄がありますが、以前はそう言うとらえ方もされておりました。この場合、誰にとって問題なのかが問題なのですが・・・。
周辺症状は、「記憶障害」や「判断力障害」などの中核症状に、不安感や体調の不調その他のストレスが加わって出現してくると考えられます。その患者さんが置かれている心理的・身体的因子や環境要因の違いによって、認知症の程度が同じであっても周辺症状の程度は変わってくるのです。
例えば、便秘が続いて不快感をいだいている患者さんが、認知症のためどう対応してよいか分からずソワソワしたりうろうろと動き回ったりしている場合を考えてみましょう。不穏や徘徊は、問題行動として捉えられがちですが、患者さんにとっては腹部の不快感の原因が分からず不安に陥っているのかもしれませんし、トイレに行きたいのだけどその場所が分からずウロウロしているのかもしれません。その原因を把握し適切な対処法がとられれば不穏や徘徊は無くなるはずですが、認知症により充分な自己表出が出来ないため、介護者も充分な病態把握が出来ず対応も不適切になってしまう場合もあると考えられます。不適切な言動が投げかけられる場合もあると思います。
このような不適切な対応法は、具体的には「だます」「のけ者にする」「出来ることをさせない」「子供扱いにする」「無視する」「怖がらせる」「強制する」「後回しにする」・・・、などが挙げられます。認知症患者さんの理解出来ない行動や、介護を困難にさせるような行動で、家族や介護者がイライラしたり対応が不適切になったりした場合、そのイライラや不適切な対応が患者さんに悪影響を与えさらに周辺症状を悪化させることが懸念されます。それが介護者の負担やストレスに繋がり・・・、と、悪循環が加速してしまいます。
「認知症の人は、「こうして欲しい」とか自分の希望の認識?というか、あるのでしょうか?」とのご質問ですが、私は「ある」と思います。「楽しんだこともすぐ忘れてしまいます」がとのことですが、本当にそうでしょうか?陳述記憶というか意味記憶というか、「いつ、誰と、何をして楽しかった」という具体的な記憶は口に出して語ることは出来ないかもしれませんが、記憶は言葉に出来るものだけではありません。例えば、心にしみいる美しい音楽、これまで見たこともないような素晴らしい景色。言葉では表現出来なくても、脳裏にはありありと甦ってくるような体験、あるんじゃないでしょうか?周囲の人間関係が不適切な方向に向かって悪循環を形成するのも、自分が受けた不適切な言葉や対応を忘れていないからだと思います。反対に、楽しんだことも記憶がなくなってしまうと言うわけではないと思いますし、それによって家族や介護者など周りの人とのよい関係が構築されれば、周辺症状の原因となる「不安感」や「不快感」、「焦燥感」「被害感」「混乱」などが軽減されて行くのではないでしょうか。
「自分の人生をすべて他の人に決められて」
これは難しい問題だと思いますが、どうすればその人らしくいられるのか、その人のこれまで歩んできた道のりや人生観なども勘案しつつ「どうして欲しい」と思っているかを推し量ることが出来るのは、最も身近にいるご家族しかいないのかもしれませんし、「その時、本人が楽しそう」であれば少なくとも大外れはしていないと私は思います。
勿論、うさぴょんさんのお気持ちは伝わっていると思いますよ。
認知機能障害(以下、認知症)についても一気に書ける問題ではないのですが、今回は認知症の周辺症状について考えてみたいと思います。
認知症の症状には、「記憶障害」「判断力障害」「実行機能障害」などの中核症状と、「徘徊」「妄想」「不潔行為」「異色」「暴言・暴力」「介護者への抵抗」「反社会的行動」などの、周辺症状と呼ばれるものがあります。周辺症状は、「認知症の行動・心理症状(Behavioral and Phychological Symptoms of Dementia)」の頭文字を取ってBPSDとも呼ばれています。介護保険の主治医意見書には、「問題行動」として記載欄がありますが、以前はそう言うとらえ方もされておりました。この場合、誰にとって問題なのかが問題なのですが・・・。
周辺症状は、「記憶障害」や「判断力障害」などの中核症状に、不安感や体調の不調その他のストレスが加わって出現してくると考えられます。その患者さんが置かれている心理的・身体的因子や環境要因の違いによって、認知症の程度が同じであっても周辺症状の程度は変わってくるのです。
例えば、便秘が続いて不快感をいだいている患者さんが、認知症のためどう対応してよいか分からずソワソワしたりうろうろと動き回ったりしている場合を考えてみましょう。不穏や徘徊は、問題行動として捉えられがちですが、患者さんにとっては腹部の不快感の原因が分からず不安に陥っているのかもしれませんし、トイレに行きたいのだけどその場所が分からずウロウロしているのかもしれません。その原因を把握し適切な対処法がとられれば不穏や徘徊は無くなるはずですが、認知症により充分な自己表出が出来ないため、介護者も充分な病態把握が出来ず対応も不適切になってしまう場合もあると考えられます。不適切な言動が投げかけられる場合もあると思います。
このような不適切な対応法は、具体的には「だます」「のけ者にする」「出来ることをさせない」「子供扱いにする」「無視する」「怖がらせる」「強制する」「後回しにする」・・・、などが挙げられます。認知症患者さんの理解出来ない行動や、介護を困難にさせるような行動で、家族や介護者がイライラしたり対応が不適切になったりした場合、そのイライラや不適切な対応が患者さんに悪影響を与えさらに周辺症状を悪化させることが懸念されます。それが介護者の負担やストレスに繋がり・・・、と、悪循環が加速してしまいます。
「認知症の人は、「こうして欲しい」とか自分の希望の認識?というか、あるのでしょうか?」とのご質問ですが、私は「ある」と思います。「楽しんだこともすぐ忘れてしまいます」がとのことですが、本当にそうでしょうか?陳述記憶というか意味記憶というか、「いつ、誰と、何をして楽しかった」という具体的な記憶は口に出して語ることは出来ないかもしれませんが、記憶は言葉に出来るものだけではありません。例えば、心にしみいる美しい音楽、これまで見たこともないような素晴らしい景色。言葉では表現出来なくても、脳裏にはありありと甦ってくるような体験、あるんじゃないでしょうか?周囲の人間関係が不適切な方向に向かって悪循環を形成するのも、自分が受けた不適切な言葉や対応を忘れていないからだと思います。反対に、楽しんだことも記憶がなくなってしまうと言うわけではないと思いますし、それによって家族や介護者など周りの人とのよい関係が構築されれば、周辺症状の原因となる「不安感」や「不快感」、「焦燥感」「被害感」「混乱」などが軽減されて行くのではないでしょうか。
「自分の人生をすべて他の人に決められて」
これは難しい問題だと思いますが、どうすればその人らしくいられるのか、その人のこれまで歩んできた道のりや人生観なども勘案しつつ「どうして欲しい」と思っているかを推し量ることが出来るのは、最も身近にいるご家族しかいないのかもしれませんし、「その時、本人が楽しそう」であれば少なくとも大外れはしていないと私は思います。
勿論、うさぴょんさんのお気持ちは伝わっていると思いますよ。
この記事へのコメント
こんにちは。
テーピングのブログにも来てくれてありがとうございます。
こちらのブログは
すごく興味があります。
いろいろ勉強しているのですが
ブログの内容には考えさせられるものがあり
勉強になります。
これからもよろしくお願いします。
テーピングのブログにも来てくれてありがとうございます。
こちらのブログは
すごく興味があります。
いろいろ勉強しているのですが
ブログの内容には考えさせられるものがあり
勉強になります。
これからもよろしくお願いします。
Posted by ☆テーピングアドバイザーの松田です。 at 2009年11月24日 09:58
テーピングアドバイザーの松田さん、コメントありがとうございます。
私も学生の頃、膝や足首のテーピングは沢山やりました。一度足首を折ったことがあるので、足首のテーピングは入念にやってましたが、肩や手のテーピングはあまりやったこと無かったです。
最近は額や目尻を切った選手の応急処置で、傷口をぐるぐる巻きにするテーピング(?)が得意です。
ブログの内容は、舌足らずな文章で分かりにくい点もあると思いますので、ご質問があれば遠慮無くコメントして下さい。
宜しくお願い致します。
私も学生の頃、膝や足首のテーピングは沢山やりました。一度足首を折ったことがあるので、足首のテーピングは入念にやってましたが、肩や手のテーピングはあまりやったこと無かったです。
最近は額や目尻を切った選手の応急処置で、傷口をぐるぐる巻きにするテーピング(?)が得意です。
ブログの内容は、舌足らずな文章で分かりにくい点もあると思いますので、ご質問があれば遠慮無くコメントして下さい。
宜しくお願い致します。
Posted by samura at 2009年11月24日 20:58
たまたま見つけたブログに、日頃のモヤモヤした気持ちを、まとまりもなく書いたコメントに、きちんと答えていただき、読みながら思わず涙がでてきました。
母の家に帰りたい(家のことも忘れちゃったみたいですが)という願いを叶えてあげることもできず、毎回、会うたびに母が忘れてくれるのをいいことに、母の好物を食べさせたり、大好きな花やきれいな景色を見せて、ごまかすというか、だましてるのではという思いで・・・
美味しい物を食べたり、綺麗な景色をみたその時は、母も喜んでくれてるのでしょうね。
一瞬々の喜びの積み重ねが、目には見えないけど大きな幸せになってくれるのでしょうね。
自分ができる精一杯のことをしようと思いました。
ほんとうに、ありがとうございました。
母の家に帰りたい(家のことも忘れちゃったみたいですが)という願いを叶えてあげることもできず、毎回、会うたびに母が忘れてくれるのをいいことに、母の好物を食べさせたり、大好きな花やきれいな景色を見せて、ごまかすというか、だましてるのではという思いで・・・
美味しい物を食べたり、綺麗な景色をみたその時は、母も喜んでくれてるのでしょうね。
一瞬々の喜びの積み重ねが、目には見えないけど大きな幸せになってくれるのでしょうね。
自分ができる精一杯のことをしようと思いました。
ほんとうに、ありがとうございました。
Posted by うさぴょん at 2009年11月24日 23:04
うさぴょんさん、コメントありがとうございます。
先日のコメントはかなり漠然としているように感じましたが、「日々のモヤモヤした気持ちを、まとまりもなく書く」ことにも大変大きな意味があるのではないかと感じました。何か伝えたいことがあるけれど、うまく言葉にするほどは形になっていない。でも心の中に何か大きなものが詰まっているような・・・。
そんな感じがすごく伝わってくるコメントだったので、私なりに言外の意味を拾って考えを書いてみました。決してごまかすとかだましているわけではないと思いますし、今日のコメントに書かれていることを私もその通りだと思いますよ。
応援してますので、自信を持ってお母様を大事にしてあげて下さいね。
先日のコメントはかなり漠然としているように感じましたが、「日々のモヤモヤした気持ちを、まとまりもなく書く」ことにも大変大きな意味があるのではないかと感じました。何か伝えたいことがあるけれど、うまく言葉にするほどは形になっていない。でも心の中に何か大きなものが詰まっているような・・・。
そんな感じがすごく伝わってくるコメントだったので、私なりに言外の意味を拾って考えを書いてみました。決してごまかすとかだましているわけではないと思いますし、今日のコメントに書かれていることを私もその通りだと思いますよ。
応援してますので、自信を持ってお母様を大事にしてあげて下さいね。
Posted by samura at 2009年11月24日 23:30
samuraさんこんばんは
いつも、大変勉強になっております。ありがとうございます又、お医者様としての志が高い事、ブログでの丁寧で具体的な内容等が温かいお人柄を感じます。
実は私の母も(85才)でアルツハイマーと診断されて色々大変な事もあります。
(まだ軽症でほぼ元気なのでありがたいです。)今後の事が不安でしたが、ブログを見て、表現が出来なくても、感情や思いがある事を知って嬉しくなりました。
これからはもっともっと、母に笑顔で話しかけていきたいと思います。
お忙しいと思いますが、これからもブログの継続をお願いいたします。楽しみにしています
いつも、大変勉強になっております。ありがとうございます又、お医者様としての志が高い事、ブログでの丁寧で具体的な内容等が温かいお人柄を感じます。
実は私の母も(85才)でアルツハイマーと診断されて色々大変な事もあります。
(まだ軽症でほぼ元気なのでありがたいです。)今後の事が不安でしたが、ブログを見て、表現が出来なくても、感情や思いがある事を知って嬉しくなりました。
これからはもっともっと、母に笑顔で話しかけていきたいと思います。
お忙しいと思いますが、これからもブログの継続をお願いいたします。楽しみにしています
Posted by ルミ at 2009年11月26日 01:52
ルミさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
アルツハイマー病で記憶力が低下していったとしても、これまでの人生や歩んできた道のりになにか傷がつくわけでもなく、その人はその人であり続けます。これからの人生も、その人らしく歩めるようサポートしてあげることが出来ればいいですよね。
やっぱり笑顔が一番ですね!
コメントありがとうございます。
アルツハイマー病で記憶力が低下していったとしても、これまでの人生や歩んできた道のりになにか傷がつくわけでもなく、その人はその人であり続けます。これからの人生も、その人らしく歩めるようサポートしてあげることが出来ればいいですよね。
やっぱり笑顔が一番ですね!
Posted by samura at 2009年11月26日 12:43
初めまして!!ハチナナです。
ブログ来ていただいて、ありがとうございました。
「認知症により充分な自己表出が出来ないため~」
ホントにそうだと思います。
色々、段階のようなものはあると思うのですが、うまく表現できないだけで、こちらが不思議に思う行動も、本人にとっては意味があったり…。
母の気持ちを大切にしながら、楽しんで関わっていきます。。。
先生のようなお医者様が、もっと増えたらいいですネ。
ブログ楽しみにしていまーす。
ブログ来ていただいて、ありがとうございました。
「認知症により充分な自己表出が出来ないため~」
ホントにそうだと思います。
色々、段階のようなものはあると思うのですが、うまく表現できないだけで、こちらが不思議に思う行動も、本人にとっては意味があったり…。
母の気持ちを大切にしながら、楽しんで関わっていきます。。。
先生のようなお医者様が、もっと増えたらいいですネ。
ブログ楽しみにしていまーす。
Posted by ハチナナ at 2009年12月03日 15:08
ハチナナさん、こんばんわ。
ハチナナさんのおっしゃるように、「認知症は進行する病気ではあるけれども、家族や周りの人の関わり方によって、進行が遅くなったりすることもありますし、逆にすごい速さになることもある」と思います。まさにその通りで、核心を突いていると思います。
不穏や徘徊などの周辺症状も、患者さんにとっては意味のあることが多いので、それを理解することで症状を軽くしていくことが出来るのだと思います。是非、お母さんのお気持ちを大切するような接し方をしてあげて下さいね。応援しています!
ハチナナさんのおっしゃるように、「認知症は進行する病気ではあるけれども、家族や周りの人の関わり方によって、進行が遅くなったりすることもありますし、逆にすごい速さになることもある」と思います。まさにその通りで、核心を突いていると思います。
不穏や徘徊などの周辺症状も、患者さんにとっては意味のあることが多いので、それを理解することで症状を軽くしていくことが出来るのだと思います。是非、お母さんのお気持ちを大切するような接し方をしてあげて下さいね。応援しています!
Posted by samura at 2009年12月03日 23:23