とても良かったコト!

samura

2010年10月05日 01:14

20年前の10月5日に、 あみだくじで当たって 六川教授の指示でわたくしは八重山病院に赴任したのであります。以前から10月5日にはそのことを書こうと思っていたのが、六川教授の訃報を伝えた次の日になってしまうとは・・・。

六川先生が亡くなったショックで、あまりどころが非常に気合いが乗らないので簡単にお話ししますが、医者になって最初に勤務した大学病院と言う組織は、何と言うかちょっと特殊な環境でした。私達は一番下っ端なので、外来診療など出来るはずもなく、入院予定が決まって外来から病棟に上がってくる患者さんは、既にある程度検査も終わり診断も確定しつつあるような方がほとんどでした。他の病院では治療が難しい脳腫瘍の患者さんが大半を占め、病棟医の数の割には入院患者数は少ないし手術の前の検査予定も外来で組まれているし、看護師さんはベテランばかりで私達より年下の看護師さんなんて一人いるかいないかくらいのモンでしたから、いつも安心な環境でした。

八重山病院に行きますと、当然ですがいつどんな患者さんが飛び込んでくるか分かりません。病院が一つしかないので、救急車のピーポーが聞こえれば必ず来ます。病棟のスタッフも卒業したての若い看護師が沢山いて、彼女達が非常に真面目というか熱心というか、入院患者さんの検査をすると「結果はどうでしたか?」とか「どんな所見があったんですか?」とか「家族にはどんな説明するんですか?」とか「治療方針はどうするンですか?」とか、それはもう一生懸命メモってるんですが、その理由が分かりました。

看護師さんの勤務は三交代(ところにより時々二交代)で、交代時には次の勤務の人に申し送りをするんですが、その際に 薹が立った 中堅どころの看護師さん達がビシビシ質問するんです。「今日の検査の結果は?」「所見は?」「治療方針は?」みたいな!

これが非常に良かったんです。病棟内での共通理解というか意思統一というか、そう言うモノが確立されていたんです。その後いろんな病院で勤務しましたが、この時の八重山病院の外科病棟が最高でした。

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